• データ主導の人材開発・組織開発

【仮想提案書】組織の強靭化のための360度評価導入

本提案書は、AIエージェントである、Aさん(ビジョナリー・統合型)、Bさん(実装・システム設計型)、Cさん(批判的・哲学型)の3つの異なる思考スタイルによるブレインストーミングを統合して作成された。

エグゼクティブサマリー

提案の一言

組織の強さは、個人の優秀さの総和ではない。「誰が何を知っているかを、みんなが知っている」という状態の質で決まる。本提案は、360度フィードバックを”評価制度”ではなく”組織の知の神経系の構築・最適化エンジン”として導入するものである。

概要

項目内容
目的組織のトランザクティブ・メモリー・システム(TMS)の構築による組織レジリエンスの強化
手段360度フィードバックを「個人評価」から「知の索引づくり」へ再設計し導入
対象全社(パイロット部門2〜3部署からスタート)
期間14ヶ月で定常運用開始(Phase 0〜3の段階的導入)
概算投資初期550〜1,200万円 + ランニング1,050〜1,800万円/年(500名規模想定)
期待効果年間3,950万円(標準シナリオ)/ROI 263%/投資回収10ヶ月

第1章|背景と課題認識

1.1 組織が直面する「知の断絶」リスク

現代の組織は、以下の構造的リスクに直面している。

  • 離職・異動による暗黙知の喪失:キーパーソン1名の退職で、年収の50〜200%相当(500〜2,000万円)の知識喪失コストが発生する
  • 「誰に聞けばよいかわからない」探索コストの増大:知識労働者は情報検索に労働時間の約19%を費やしている(McKinsey調査)
  • サイロ化による重複投資・意思決定の遅延:部門間の知の断絶が、同じ問題の重複解決や意思決定の遅れを招く

問い:「あなたの組織で、明日キーパーソンが3人同時に退職したら、何が失われるかを具体的に描写できますか? 誰がその知識を引き継げるか、答えられますか?」

この問いに即座に答えられない組織は、知の脆弱性を抱えている。

1.2 なぜ既存の360度評価では解決できないのか

従来の360度フィードバックは、以下の前提に立っている。

  • 目的:個人の行動改善・育成
  • 設問:「リーダーシップ」「コミュニケーション」等の行動特性を5段階で評価
  • 成果物:個人別レポート(強み・弱みの一覧)
  • 帰結:個人の成長計画策定

この設計では、「個人の能力の通信簿」は生成されるが、「組織として、誰が何を知っているか」という知の地図は生成されない。組織学習論(Argyris & Schon)の言葉で言えば、従来型は「行動を直す」シングルループ学習に留まり、「組織の知識分業構造そのものを問い直す」ダブルループ学習には至らない。

1.3 トランザクティブ・メモリー・システム(TMS)という解法

トランザクティブ・メモリー・システム(TMS) とは、「誰が何を知っているかを、組織のメンバーが共有している状態」を指す(Wegner, 1987)。

TMSは3つの機能で構成される。

TMS機能意味組織への効果
Directory(知識の所在認識)誰が何に詳しいかを皆が知っている探索コストの削減、適材適所の速度向上
Storage(分散保持)専門知識がメンバー間で適切に分担されている知識の冗長性確保、喪失リスク低減
Retrieval(引き出し)必要なときに適切な人から知識を引き出せる協働の摩擦低減、初動速度向上

TMSが高い組織は、危機に強く、イノベーションが生まれやすく、意思決定が速い。 医療領域の実証研究では、TMSが強い外傷チームの患者は、ICU滞在日数・入院日数が有意に短いことが示されている。TMSは「気持ちの良い概念」ではなく、高信頼性組織(HRO)において命に関わる水準で「効く」ことが実証されている


第2章|提案の全体像

2.1 コンセプト:「評価」から「知の索引づくり」へ

本提案は、360度フィードバックの目的を根本から転換する。

従来型360度FB本提案(TMS型360度FB)
目的個人の行動改善組織の知の索引(TMS)の構築・更新
設問行動特性の評価(5段階)知の所在・信頼性・活用法の記述
成果物個人別スコアレポート組織ナレッジグラフ+相談先マップ
回答者の体験「評価という義務作業」「他者観察力を鍛える投資」
組織への効果個人の成長(間接的)知の探索コスト削減・初動速度向上(直接的)

2.2 360度FBをTMS埋め込み装置として再設計する

本提案は、TMSの3要素に直接対応する形で360度FBを再設計する。

TMS3要素           →  360度FBの再設計ポイント

[Specialization]       設問で「誰が何に強いか」を可視化
  専門性の分化          → 相談され領域ヒートマップ、検索タグの生成

[Credibility]          設問で「その知識は頼れるか」を校正
  知の信頼性            → 助言の再現性、根拠の透明性の評価

[Coordination]         設問で「どう呼び出せばよいか」を型化
  協調・引き出し        → 協働プロトコル(呼び方・返答速度・注意点)の整理

2.3 コンセプトの三層構造

第三層【組織OS】   :組織全体の知のインデックスが自律的に更新される状態
第二層【神経回路】 :「誰が何を知り、誰を信頼し、誰にアクセスできるか」の可視化
第一層【細胞活性】 :個人の専門性の認知と、知の提供意欲の活性化

2.4 回答行為そのものが組織学習になる設計

本提案の独自性は、回答する側にも明確な価値がある点にある。

従来の360度FBでは、回答は「データ提供のための義務作業」でしかなかった。本提案では、回答行為そのものが以下の効果を持つ。

  1. 能動的符号化(Active Encoding):「この人は何が得意だったか?」と考えること自体が、自分の中に知のインデックスを構築するプロセスになる
  2. 観察力のトレーニング:他者を「場面×行動×効果」で観察する習慣が形成される
  3. 互恵性の創出:「自分の専門性も誰かに認知されている」という実感が、知の提供意欲を高める

「人の背中を見る時間は、自分の立ち位置を確認する時間でもある」
―― 回答にかける10分は「作業コスト」ではなく「組織の知を編む投資」になる。


第3章|「組織の強靭化」とTMSの接続

3.1 レジリエンスの本質的定義

「組織の強靭化」を空疎なバズワードにしないために、TMSの言語で厳密に定義する。

組織のレジリエンスとは、環境変化や人的変動が起きても、TMSの3機能(Directory/Storage/Retrieval)が維持・再構成される能力である。

強靭な組織とは「壊れない組織」ではなく、「知識ネットワークが壊れても素早く再構築できる組織」である。

3.2 TMSの言語で再定義する「組織の脆弱性」

脆弱性状態TMS型360度FBの対策
Directoryの劣化「誰が何を知っているか」がわからない定期的な知のタグ付け・更新で所在情報を維持
Storageの集中知識が特定個人に過度に依存(バス係数の問題)SPOF(単一障害点)を検出し、知の冗長化を計画
Retrievalの断絶知識があっても引き出せない協働プロトコルの整備、心理的安全性の醸成

3.3 レジリエンスの三要素との対応

レジリエンスの要素意味TMS型360度FBの貢献
吸収力(Absorption)衝撃を受け止める力知の冗長性が確保され、キーパーソン離脱時にもバックアップが機能する
適応力(Adaptation)変化に合わせて変わる力知のネットワークが可視化され、最適な再編成が可能になる
変容力(Transformation)危機を機に進化する力多様な知の結節点が明確になり、異質知の結合(イノベーション)が促進される

3.4 因果チェーン:五段階のロジック

【第一段階】TMS型360度FB → 「誰が何を知っているか」の組織的認知が形成される
    ↓
【第二段階】問題発生時に「誰に聞けばよいか」が即座にわかる → 探索コスト激減
    ↓
【第三段階】知のネットワークの可視化 → SPOF特定 → 知の冗長化が計画的に行える
    ↓
【第四段階】環境変化に応じた最適チーム編成 → 「知の組み換え」によるイノベーション
    ↓
【第五段階】組織レジリエンスの実現:危機対応速度↑ 知の喪失リスク↓ 適応力↑

3.5 導入によって変わる組織の姿

シナリオ:ベテラン社員の退職

BeforeAfter
影響把握「あの人がいなくなると困る」という漠然とした不安ナレッジグラフ上で「唯一の知識ノード」である領域が可視化。影響範囲を定量的に把握
対策引継ぎ書を作成(形骸化しがち)「知の冗長化」計画を策定。退職前に計画的な知の移転を実施
事後「あれはあの人しか知らなかった」が頻発知識が複数人に分散。組織の知の継続性が担保される

シナリオ:緊急の危機対応

BeforeAfter
初動「誰かこの分野に詳しい人いない?」と聞いて回る。3日かかるナレッジグラフで最適な専門家を即座に特定。30分で初動チーム編成
解決たまたまの知り合い頼み。属人的な対応最適な専門性の組み合わせ。再現性のある対応

第4章|AI時代における本提案の意義

4.1 AIがTMSを担う時代の到来

社内SNS(Slack、Teams等)を読み込んだAIが、「誰が何について発言しているか」を自動的に索引化する時代が既に到来している。AIは、TMSの「Directory機能」と「Coordination機能」において、人間を凌駕する精度と速度を持つ。

4.2 では、なぜ人間がやる360度FBが必要なのか

AIが得意なのは「顕在化した知」の索引化である。しかし、TMSの3要素のうちCredibility(信頼性の評価)は、人間の相互観察からしか生まれない

情報の種類AIの能力人間の観察でしか得られないもの
「誰が何に詳しいか」Slackログから検出可能「その人の判断が土壇場でどれだけ頼りになるか」
「誰が誰と連携しているか」通信パターンから検出可能「会議での一言がチームの空気を変えた」影響力
「知識の正確性」事実の照合は可能「この文脈では、あの人の経験知が最も信頼できる」

4.3 デジタルTMS × ソーシャルTMS ―― 二重螺旋モデル

本提案は、AIを否定するものではない。AIと人間の認知的分業を最適化するものである。

【ソーシャルTMS(人間系)】          【デジタルTMS(AI系)】
360度フィードバック                   社内SNS・チャット分析
  ↓                                    ↓
定期的・意図的な                      常時・自動的な
知の棚卸し・タグ付け                  知の流通パターン検出
  ↓                                    ↓
主観的・関係性ベース                  客観的・行動ベース
の信頼マップ                          のネットワークマップ
  ↓                                    ↓
  └──────── 統合 ────────┘
            ↓
    組織ナレッジグラフ
   (動的・多層的TMS)

4.4 「認知主権」の確保

AIがTMSのDirectory機能を担うということは、組織の認知インフラを特定のシステム(とその管理者)が掌握することを意味する。TMSが人々の頭の中に分散していたとき、組織の知識は本質的に民主的に分散していた。

360度FBを通じて、人間が自ら他者を観察し、言語化し、知識の地図を更新し続ける営みを組織に埋め込むことは、AI時代における「認知主権」の確保という意味を持つ。

「御社の『誰が何を知っているか』という知識は、5年後どこに存在していますか? AIベンダーのサーバーの中ですか、それとも社員一人ひとりの頭の中ですか?」


第5章|設問設計とレポート設計

5.1 設計原則

  1. TMS3要素に1対1で対応させる
  2. 行動の良し悪しではなく「知の発見・活用可能性」を問う
  3. 観察しやすい粒度に分解する(曖昧な人格評価を排除)
  4. 回答負荷を抑える:計18問+メタ1問、1人あたり10〜15分

5.2 設問一覧(案)

カテゴリA:専門性の分化(Specialization)― 5問

#設問形式
A1この人は、特定テーマにおいて有効な助言をくれる5段階
A2この人に相談すると、論点が整理され次のアクションが明確になる5段階
A3この人は、担当領域の最新動向・実務知を継続的に更新している5段階
A4この人がいなくなった場合、代替が難しい知識・スキル領域がある5段階
A5この人に相談すると早いテーマを最大3つ挙げてくださいタグ選択+自由入力

カテゴリB:信頼(Credibility)― 5問

#設問形式
B1この人の助言には再現性がある(同種の場面で繰り返し当たる)5段階
B2不確実な点を不確実と明示し、検証に導いてくれる5段階
B3利害が絡む場面でも、判断の根拠が透明である5段階
B4この人の助言を信頼できる根拠を一言で(具体的場面ベース)短文記述
B5この人の知見が特に信頼できる条件・領域と、守備範囲外だと思う領域短文記述

カテゴリC:協調(Coordination)― 5問

#設問形式
C1忙しいときでも要点を短く返す、または次アクションを示してくれる5段階
C2関係者を適切につないでくれる(紹介・橋渡し)5段階
C3相手の理解度に合わせて説明粒度を調整できる5段階
C4この人への相談で最も効率的なアプローチ方法は?選択式
C5この人に相談する際の注意点(繁忙帯・前提共有の要否等)短文記述

構造化自由記述 ― 3問

#設問目的
F1直近3ヶ月で、この人が最も価値を出した場面(場面+効いた行動)タグ生成の素材
F2「この件ならこの人」と他者に紹介したことがある領域紹介ネットワークの可視化
F3この人と協働する上で、組織が知っておくべきこと協働プロトコルの素材

メタ設問 ― 1問

#設問目的
M1この回答を通じて、相手への理解や自分の観察力に新たな気づきがあった回答行為の学習効果を測定

5.3 回答負荷の管理

項目設計値
合計設問数18問+メタ1問
1人あたり回答所要時間10〜15分
1回答者が担当する対象者数5〜8名(上限10名)
1回答者の総負荷50〜120分(1週間で分散可能)

5.4 レポート設計

個人レポート(対象者本人向け)

  • 相談され領域ヒートマップ:どのテーマで頼られているか
  • 紹介され領域:「この件ならあなた」と他者が推薦する領域
  • 橋渡し指数:部署・職種をまたいで参照されている度合い
  • 協働プロトコル(他者からの推奨):呼び方・返答速度の期待値
  • 「知の提供メニュー」案:面談で確定するための素材

組織レポート(経営層・人事向け)

  • 組織ナレッジグラフ:知の結節点・ハブ・ブリッジの可視化
  • 知のボトルネック検知:特定個人への過度な集中(SPOF)
  • クロス部門参照マップ:部門間の知の流通状態
  • タグカバー率:主要業務領域にタグ付き人材がいるか

第6章|導入ステップとタイムライン

全体スケジュール(14ヶ月で定常運用開始)

Month  1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12  13  14
       |--Phase0--|---Phase1(Pilot)---|----Phase2(本格展開)----|--Phase3-->
       準備       パイロット          全社展開              定常運用

Phase 0:準備(Month 1〜2)

作業項目成果物
経営層への企画承認取得承認済み企画書
TMS3要素に基づく設問設計設問一覧(確定版)
サーベイツール選定・導入ツール契約
パイロット部門の選定(2〜3部門、計100〜150名)対象者リスト
ベースライン測定(探索コスト・初動速度等)ベースラインデータ
回答者向けガイド作成10分ガイド資料

Phase 1:パイロット(Month 3〜5)

作業項目成果物
パイロット部門への説明会+回答者ミニトレーニング実施記録
観察メモの先行蓄積(4週間)観察メモデータ
360度フィードバック実施(回答期間2週間)回答データ
データ分析・レポート生成個人レポート+組織レポート
フィードバック面談(「知の提供メニュー」確定)面談記録
パイロット振り返り → Go/No-Go判定改善報告書

Go/No-Go判定基準

  • 回答率 >= 80%
  • 回答者の学習実感(M1設問)>= 3.5/5.0
  • 設問の識別力(分散)が十分
  • 重大な心理的安全性の問題が発生していない

Phase 2:本格展開(Month 6〜11)

作業項目成果物
全社展開説明会・第1回全社360度FB実施全社回答データ
組織ナレッジマップ(初版)生成ナレッジマップ
業務導線への接続(PJ立上げシート等)運用ツール
新人オンボーディングへの「相談先マップ」組込みオンボーディング改訂版
第1回四半期ミニ更新更新データ
効果測定(ベースラインとの比較)効果測定レポート

Phase 3:定常運用・拡張(Month 12〜)

  • 年次フル360の定常サイクル化
  • 四半期ミニ更新の定常化(1人5分、タグ更新のみ)
  • AI連携の検討・PoC(Slack/Teams連携)
  • 年次効果検証・制度改善

第7章|KPI・効果測定フレームワーク

4層の指標体系

Layer 1:プロセス指標(施策が動いているか)

KPI目標値
回答率>= 85%
回答者の学習実感(M1設問)>= 3.5/5.0
観察メモの蓄積率参加者の60%以上が月2回以上

Layer 2:TMS形成指標(知の索引が育っているか)

KPI目標値
「この件は誰に聞く?」正答率導入前比 +20pt
専門性タグのカバー率主要業務領域の80%以上
ネットワーク集中度(ジニ係数)集中度の低下(-0.05以上)
クロス部門参照率導入前比 +15%

Layer 3:行動変容指標(実務で使われているか)

KPI目標値
相談先の探索コスト(時間)導入前比 -30%
たらい回し回数導入前比 -40%
PJ立上げ時の「相談先タグ」入力率>= 70%

Layer 4:事業成果指標(経営に効いているか)

KPI目標値
プロジェクト初動速度導入前比 -15%
過去知見の再利用率導入前比 +20%
新人の立ち上がり速度導入前比 -1ヶ月
重複投資・手戻りの削減年間件数 -20%

測定サイクル

頻度測定内容
毎月Layer 1(プロセス指標)
四半期Layer 2・3(TMS形成・行動変容)
年次Layer 4(事業成果)+全指標の統合レビュー

第8章|リスクと対策

6つの失敗モードと設計上の対策

#失敗モード発生確率影響度主な対策
1人気投票化(声の大きい人が「専門家」扱い)推薦根拠を具体案件ベースで記述させる。分析時にバイアス検出・補正
2相談される人の燃え尽き中〜高タグ上位者に「受付の型」を用意。負荷モニタリング
3心理的安全性の低下(監視・査定に見える)「点数」ではなく「索引」を主成果物に。人事評価と明示的に分離
4陳腐化(タグ情報が古くなる)四半期ミニ更新。PJ終了時の自然更新メカニズム
5回答負荷による形骸化設問18問に厳選。観察メモの先行蓄積。回答者にも相談先マップを返す
6経営層の関心喪失致命的Go/No-Go判定で「やめる安心感」を提供。四半期ダッシュボードで数字報告

知的に誠実な留保

前提条件1:心理的安全性
TMSが機能するには「知らないことを知っている人に聞ける」文化が必要(Edmondson, 1999)。心理的安全性が低い組織では、まずそちらの手当てが先である。

前提条件2:段階的拡張
TMSの原理論は小集団の認知研究から発展した概念であり、大規模組織への適用にはチーム単位での構築→チーム間接続という二層構造が必要。全社一斉導入は推奨しない。

構造的課題:匿名性のジレンマ
回答の率直さを担保する匿名性と、知識ネットワークのマッピングに必要な実名性は構造的に矛盾する。設問の種類によって匿名度を変える設計で対応する。

留意点:ノード固定化リスク
「あの人=この領域」の固定化は、本人の成長機会を奪う逆説がある。「今後相談される領域を広げたい分野は?」という未来志向の問いと、定期的なタグの「揺さぶり」を組み込む。


第9章|概算コストとROI

コスト構造(500名規模想定)

費目初期投資ランニング(年間)
サーベイツール100〜300万円100〜200万円
設問・レポート設計150〜300万円
説明会・トレーニング50〜100万円
人事部門工数200〜400万円300〜500万円
データ分析100〜200万円
回答者の時間コスト500〜800万円
合計550〜1,200万円1,050〜1,800万円/年

ROI試算

効果項目試算ロジック年間効果額
探索コスト削減500名×月2時間→30%削減×時給5,000円1,800万円
PJ初動速度向上年50PJ×各1週間短縮×15%750万円
重複投資・手戻り削減年10件×200万円×20%削減400万円
新人立ち上がり短縮年50名×1ヶ月短縮×月給40万円×0.51,000万円
合計3,950万円/年
シナリオ年間コスト年間効果ROI投資回収
保守的1,500万円2,000万円133%18ヶ月
標準1,500万円3,950万円263%10ヶ月
楽観的1,500万円6,000万円400%7ヶ月

「導入しない場合のコスト」

リスク項目想定損失
キーパーソン1名の退職による知識喪失500〜2,000万円
年間探索コスト(500名×月2時間×12ヶ月×時給5,000円)6,000万円/年
サイロ化による重複投資年間数百〜数千万円

導入コストは年1,500万円。導入しないコストは年6,000万円以上。


第10章|運用設計

年間サイクル

Q1(4〜6月):年次フル360実施
  4月:対象者・評価者の確定、観察メモの蓄積促進
  5月:フル360回答期間(2週間)
  6月:データ分析・レポート生成 → フィードバック面談

Q2(7〜9月):活用・浸透期
  7月:組織ナレッジマップ(更新版)公開
  8月:PJ立上げ・人員アサインでの活用
  9月:四半期ミニ更新(1回目)

Q3(10〜12月):活用・浸透期
  10月:新人オンボーディングへの相談先マップ配布
  11月:コミュニティ(ギルド)活動との連動
  12月:四半期ミニ更新(2回目)

Q4(1〜3月):振り返り・改善期
  1月:年次効果測定(全指標の統合レビュー)
  2月:改善計画策定・次年度設問見直し
  3月:四半期ミニ更新(3回目)、経営報告

業務導線への埋め込み(5つの接続ポイント)

接続ポイント埋め込み方法効果
PJ立上げ役割設計シートに「相談先タグ」欄を必須化初動速度の向上
人員アサイン「紹介され領域」「橋渡し指数」を参考表示適材適所の精度向上
オンボーディング入社30日時点で「相談先マップ」を配布新人の立ち上がり短縮
PJ完了レビュー「この件で誰が役に立ったか」入力タグの自然更新
ナレッジ基盤記事末尾に「社内相談先」リンク探索コスト削減

フィードバック面談のゴール

面談では「行動改善計画」ではなく、「知の提供メニュー」を確定する。

  1. 提供できる領域(タグの確認・修正)
  2. 呼ばれ方の希望(Slack DM可/資料先出し希望/会議設定希望等)
  3. 受付の型(週N時間まで/FAQ先読み希望/代理者の指定等)
  4. 今後伸ばしたい領域(タグの予告・固定化の防止)

AI連携の将来構想(Phase 3以降)

ステップ内容時期目安
Step 1タグ情報を社内検索に接続Year 2
Step 2Slack/Teams会話からAIが相談先候補を自動サジェストYear 2〜3
Step 3AI生成マップと人手(360)のCredibilityスコアを統合Year 3
Step 4AIが索引を自動更新、360は年次の「校正装置」として機能Year 3〜4

想定される反論と応答

Q1(経営層):「ROIは本当に出るのか」

探索コスト(年6,000万円相当)の30%削減だけでも1,800万円/年の効果。加えて、「導入しない場合のコスト」を対比させることで判断材料を提供する。Go/No-Go判定をPhase 1終了時に設定しており、効果が見えなければ撤退できる設計。

Q2(経営層):「AIに任せればいいのでは」

AIは「誰が何について発言したか」の索引化には優れるが、「その人の判断が土壇場で信頼できるか」というCredibilityの評価は人間の相互観察からしか生まれない。本提案はAIを否定せず、AI×人間の認知的分業の最適化を提案するもの。

Q3(人事):「運用が重すぎないか」

設問18問(10〜15分/人)に厳選。四半期ミニ更新は5分。回答者にも「相談先マップ」を返す設計で、「やらされ感」ではなく「自分にも役立つ」体験を提供。パイロットからの段階的展開で人事の負荷も管理。

Q4(人事):「人事評価と接続すべきでは」

初期段階では人事評価との直接接続を避けることを強く推奨する。 「評価に使われる」と認識された瞬間に回答が政治化し、TMSのDirectory情報としての信頼性が失われる。配置・アサインや組織開発指標としての活用を優先する。

Q5(現場):「新しい『やらされ仕事』が増えるだけでは」

回答後に「あなたの組織内相談先マップ(更新版)」を即座にフィードバックする。自分の10分が、明日から使える地図になることを実感させる設計。参加者が「意味のある時間だった」と感じるかどうかが成否を決める。


おわりに

本提案は、360度フィードバックという既知の手法を、根本的に異なる目的のために再設計するものである。

従来の360度FBが問うていたのは「あなたはどれだけ優秀か」であった。本提案が問うのは「あなたの組織は、自分が何を知っているかを知っていますか」である。

組織の強さは、個人の優秀さの総和ではない。「誰が何を知っているかを、みんなが知っている」という状態の質で決まる。本提案は、その状態を意図的に設計し、持続的に最適化するための仕組みである。

これは万能の解決策ではない。TMSの構築は組織の認知的基盤を整える長期的な投資であり、短期的な「成果」を約束する施策ではない。

しかし、この投資をしない組織は、AI時代に自らの認知的基盤をAIベンダーに委ねることになる。組織の知の神経系を、自らの手で構築し続ける意志――本提案が問うているのは、つまるところその覚悟である。


付録

A. 理論的背景

理論提唱者本提案との接続
トランザクティブ・メモリー・システムWegner (1987)360度FBの再定義の基盤
組織学習論(ダブルループ学習)Argyris & Schon (1978)シングルループ→ダブルループへの昇格
知識創造理論(SECIモデル)Nonaka (1994)暗黙知の社会化・形式知化の装置として
拡張認知Clark & Chalmers (1998)AI時代の認知主権の問題
心理的安全性Edmondson (1999)TMSの前提条件
TIMS(Transactive Intelligent Memory System)Hopf et al. (2025)Human-AI TMSの理論化
COHUMAIN最新研究 (2025-2026)人間×機械の集合的知性

B. TMS研究の最新動向(2023-2026)

  1. 測定のデジタル化:テキストベースのTMS強度測定(Slackログからの推定)
  2. Human-AI Teams:AIをTMSのメンバーとして組み込むTIMS概念
  3. ルーティンとの関係:TMSは「名簿」ではなく「運用ルーティン」を介して成果に効く
  4. 医療領域の実証:TMS→患者アウトカム改善の直接効果
  5. フィードバック行動とTMS:フィードバック探索行為自体がTMSを強化する

C. 用語集

用語説明
TMS(Transactive Memory System)「誰が何を知っているか」の組織的共有記憶システム
ONA(Organization Network Analysis)組織ネットワーク分析。知の流通構造を可視化
SPOF(Single Point of Failure)単一障害点。特定個人への知識依存リスク
バス係数(Bus Factor)何人が離脱すると組織機能が停止するかの指標
ナレッジグラフ知識の所在と関係性をネットワーク図として表現したもの
認知主権組織が自らの知識ネットワーク認識を自律的に形成・更新する能力

本提案書は、AIエージェントである、Aさん(ビジョナリー・統合型)、Bさん(実装・システム設計型)、Cさん(批判的・哲学型)の3つの異なる思考スタイルによるブレインストーミングを統合して作成された。

2026年2月25日