「人事評価制度」という言葉には若干の違和感がある。「人事実行制度」という言葉はないのに、なぜ「人事評価制度」という言葉があるのか。何をやるにしても、まず現状を「評価」して課題を明らかにして「実行」するのであるから、「評価」という言葉は「実行」と同じくらい一般性が高い言葉である。「評価制度」と呼んでしまうと、「評価」に包含されるあまりにも多くのことが期待されてしまうのではないか。そしてそのために、いずれの見地からも中途半端ということになってしまうのではないか。
何のために何を評価するのか、ということを考える必要がある。
この3つは人事評価の3つの側面と考えるよりも、そもそも別々の評価と考える方が正しい。というのも、それぞれ、何に照らしてどのようなプロセスで評価すれば有効な評価ができるのか、ということが全く異なる。
「人事」のための「人」の評価というのは、あくまでも、「この人はチームになくてはならない」「この人は昇格させたい」「この人は公明正大であり信用できる」「この人の市場価値はこれくらいある」・・・といったことであり、対象は「人」そのものである。人事の責任者が知りたい最終結論はそれだ。それを判断しようと思ったら、その人に関わった多くの人に話を聞いて回ることが近道となる。
「人材開発」のための「能力やスキル」の評価というのは、あくまでも、「どれくらいのレベルの交渉力がある」「どれくらいのレベルのITスキルがある」・・・といったことで、対象は「能力やスキル」そのものだ。人材開発責任者が知りたいのはそれだ。それを判断しようと思ったら社内だけに目を配るのでは足りない。グローバルな視野で、どれくらいのレベルならば今の競争環境において戦える水準と言えるのか判断しなければならない。例えば、「ITスキルがある」と言っても、一昔前であれば、EXCELマクロを使いこなせれば神のように能力があると見なされたが今では自前のウェブサイトをさらっと立ちあげることくらいできなければ「ITスキルがある」とは言えない、といった可能性は高い。そして、それは「人」と切り離せないことは確かであるものの、「特定の人(Aさん)が十分なスキルを有しているか」ということよりも、「ある能力やスキルを持つ人間がどこに何人いるのか」ということが問われる。
「事業管理」のための「業績」の評価というのは、あくまでも、「しかるべき数字が達成できた」「しかるべき活動が、しかるべき量、しかるべき品質でなされた」・・・といったことであり、対象は「業績の管理ポイント」となる。事業責任者が知りたいのはそれだ。それを判断しようと思ったら、業績の管理ポイントを細かくチェックしていくことになる。そして、実は、そこでは「人」は直接関係ない。イレギュラーな事象があった時に初めて、「それを担当しているのは誰か」ということが問われることになる。
このように、3つの異なることが「評価制度」に期待されてしまっていないか。常に評価対象を鋭敏に意識し、「人」の評価、「能力やスキル」の評価、「業績」の評価、ということをそれぞれ突き詰める意思が必要である。
一般的に人事評価は難しいと言われる。従業員意識調査を行うと、昔も今も、ほとんどの会社で「評価の客観性・公平性」が従業員の関心が高い課題として浮かび上がる。ほとんど「永遠の課題」である。しかし、「永遠の課題」などということがあって良いわけはない。「永遠の課題」であるとすれば、そもそも課題をとらえることができていないからである。課題をとらえることができていないとすれば、異なる目的を混在させているからである。目的が異なるものは別のものとして扱い、達成方法を考えなければならない。それらがたまたま一つの仕組みの中に乗るならば、それを「人事評価制度」と名づけても良いだろう。
南雲 道朋